研究が忙しくて、全く更新できていなかった。
今回は、中高生や大学生が進路を選択する際に迷う、隣接分野について私見を述べる。
計算社会科学、OR、社会工学、経済物理学は、経済学の隣接分野で有名である。どの分野も「社会」を「数理的な手法」で解釈、デザインすることを目的としている。では、それらの分野の違いは、どこにあるのだろうか。
私は経済学畑なので、経済学贔屓である。今回は経済学を中心として隣接分野を見るため、偏見があることは承知の上で読んでいただきたい(だが、他分野をdisることはしない)。
結局、何が違うのか
個人的には、経済学とそれ以外の分野の違いは、厚生評価(社会や人々の幸せ)に関心があるか否か、という点に集約されると思っている。つまり、
メカニズムや社会実装に関心がある分野 VS メカニズムや社会実装にも関心あるが、規範的な議論もしたい経済学
の対立なのだと思っている。この対立を理解するために、具体的な例を挙げる。
計算社会科学、経済物理学、OR、社会工学
例えば、計算社会科学の研究の多くがエージェントの最適化行動を仮定しない1。これは実際の人間行動をシュミレートする際に、モデルがデータによりフィットする可能性があり、推定されたモデルが豊富な表現力を持つメリットがある。
また経済物理学はミクロの視点ではなく、マクロな視点から社会行動を分析する。そのため、使用される手法に個人の意思決定が入ることは稀である2。
OR、社会工学は、ゲーム理論だったり、不確実性下の意思決定を扱うため経済学と使用する手法が近い。しかし、基本的には社会実装が主目的にある3, 4。
経済学と厚生評価
一方の経済学では、エージェントの最適化行動が必ず仮定されている。最適化こそが経済学を形作る要素の一つになっているからである5。これは他分野にはない特性である。ではなぜ、経済学がここまで最適化行動に拘るのかと言えば、厚生評価(社会や人々の幸せ)が可能になるからである。
どうして厚生評価ができるのだろうか。一言で言えば、自分が何が嬉しいのかを明らかにすれば、状態の望ましさを評価できるからである。最適化行動とは、自身の目的関数6を最大にするような行動を選択する意思決定方法である。つまり、自身の目的関数を自分自身が自覚する必要がある。言い換えれば、自分が何が嬉しくて、何が嬉しくないかを理解した上で、行動が決定されている。
例えば逆に、自分が何が嬉しくて嬉しくなのか分からないまま行動を決定する場合を考えよう。この場合、行動によってある状態が実現しても、それが自分にとって嬉しいのか評価できない。何故ならその行動が、自分の望ましさを元に決定されていないため、望ましさを測るための尺度が存在しないからである。
まとめ
厚生評価(社会や人々の幸せ)という規範的な議論ができるのが、経済学の特徴である。しかし、その点をもって、経済学は科学ではないという批判にもさらされているのは事実である。個人的には科学であることよりも、規範的な側面の方がよっぽど大切だと思っているので、そのような批判を受けた時には、むしろ開き直っているが…….。
最後に、ミクロ経済学、意思決定理論、厚生経済学が専門の林貴志の言葉を引用して終わりたい7。
経済学の関心事が「互いに異なる,個々には固定的かつ安定的な諸価値の間の通約可能性」で(中略)必ずしも「行動一般」に興味があるのではないのだ.また,社会と個人が有機的連関を以って価値感情を形成する有り様,あるいはそのあるべき姿を「まるごと」理解することに関心があるのでもない.
脚注
- 最適化行動をざっくり説明すれば、個人が自身の幸せを最大にするように行動する、ということだ。一見するとかなり強い仮定であるので、それに依拠する経済学の批判材料にされやすいが、それは間違いである。説明すると長くなるので、いつか記事にするかもしれないが、気になる方は「合理的な選好」と、「顕示選好」で調べてみるとよい。
- 個人的な見解だが、経済物理学(者)は社会行動がある分布に従うことをよく知っていると思う。一方で、経済学はマクロ的な事象も、個人の最適化行動から演繹されるため、最初から分布を仮定することは稀である。これと似た傾向は、統計学と計量経済学の違いにも表れていて、(ミクロ)計量経済学は極端に分布の仮定を嫌う節があり、大抵は直交条件などのモーメント条件で推定する。この点もいつか記事にしたい。
- ORの研究で有名な今野浩は、経済学が実社会への応用を無視した理論を構築していることが不服だったらしい。近年の経済学は、マーケットデザインやマッチング理論の社会実装が流行しているので、(もちろん、他分野の協力あってのことだろうが)計算可能性が真面目に議論されている。今の状況を見ると、今野の考えも多少変わるのかもしれない。
- ちなみに、今野は著書で、ことあるごとに経済学と経済学者をdisっている(気になる方は、工学部ヒラノ教授シリーズを読むといい)。正直、それはdisり過ぎかなあ、と思う箇所も少なくはないが、一方で経済学者の異常行動に対する著者の感情には、正直同情を禁じ得ないところもある。
- 他に、経済学を形作る要素を挙げるとすれば、均衡、効率性(規範的な基準)だろうか。
- 別に効用関数を出さなくても、選好関係でこの話はできるが、簡略化のために関数を例として出した。
- というかこの記事に、彼の言葉それ以上の情報は無い。